非国民と呼ばれて
欧州サッカーのDIVINA
非国民と呼ばれて
コラムニスト : footballmaniaさん

W杯と初めて出会ったのは、1982年のスペイン大会。小学4年生だった。
担任の先生がくれた西ドイツ代表の下敷き。そこには、K.H.ルムメニゲ、リトバルスキー、そしてシューマッハら選手の写真があった。
W杯をライブ映像で見た記憶はないが、当時のサッカーマガジンには、憧れのジーコ、ソクラテス、パオロ・ロッシが紙面を飾っていた。
世界には、なんて凄いプロフットボーラーがいるんだ! 心を揺るがすテクニック、コンビネーション、カッコよさ。サッカーを始めたばかりの小学生には、刺激が強すぎた。

1986年のメキシコ大会では、同級生の兄が録画したビデオを見せてもらい、マラドーナに陶酔した。マラドーナのための大会。これまでも、これからも、そう呼ばれ続ける。
同時に、多くの人々の心を魅了した、ジーコ、プラティニ、リネカーなど数々のスター選手。
フットボールとは、こんなにも美しく、魅力あるものなのか! フットボールは芸術だと認識し始めたのもこの頃。
その後、「神の手」が流行り、小・中学生のサッカーは秩序を失った。

1990年のイタリア大会。受験勉強に邁進しながらも、目はブラウン管に釘付けとなった。
開幕戦、アルゼンチンがノーマークのカメルーンに屈する波乱。不調の開催国イタリアに現れた救世主、マラドーナの涙とゲルマン魂。
はじめてライブで見たW杯は今でも忘れられない。

1994年、アメリカ大会。大学3年。当時の彼女の父親に録画してもらったVTRを繰り返し見た。ブラジルのロマーリオに心酔した日々。満身創痍のR・バッジオが放ったボールは、アメリカ大陸を焦がす炎天の彼方へ。
コロンビアにオウンゴールをもたらしたエスコバルの射殺事件に心を痛め、フットボールが人々にもたらす幸福感、そして憎悪を再認識した。

1998年。就職し、悶々とした日々を送りながら、フランス大会を迎えた。ここでも多くの話題と新しいスターが生まれた。
デイビッド・ベッカムの退場劇。オーウェンによる大会屈指のゴール。
ジダンのための大会。ジダンが同国の将軍プラティニを超越したのは、私の目には明白に映った。

2002年。私の中ではこの年、W杯は開催されていない。あまりにも不可解なジャッジが頻発し、強国のプライドは崩れ去った。

そして今年2006年ドイツ。これまでの順当な結果には大いに満足している。見どころも十二分。イングランドの40年ぶりの優勝を期待しながら、ブラジル、アルゼンチン、フランス、イタリアの本来の魅力あるフットボールに酔いしれることができる1ヶ月。

世界で最も愛されるスポーツの最大の祭典。つまり、世界最大のイベントに出会ってから28年。
それぞれの大会に思い出深い出来事があった。心躍らせることも、落胆することも。戦う側はさることながら、観戦する側も心しなければならない。「W杯は戦争だ」。
そんな頑固な気持ちのままでいたら、いつの間にか浅はかな俄かファンが増えたのに気付く。アホ面に代表ユニフォーム。黄色い声を出し、選手名に「様」をつける・・・。

自分の固定観念としてのW杯と、世間一般が認識する、みいちゃんはあちゃん的なW杯とでは、あまりにも温度差があり、違和感を感じてやまない。
そんな気持ちが、日本代表を応援できないことに繋がってしまったのだろうか。
ドーハの悲劇? ジョホーバルの歓喜? 全く興味がなかった。
自国を応援できない以上、「W杯は戦争だ」という以上、果たして私はその戦争に参加できていないことになるのだろうか?

「自国を応援できてはじめて世界のフットボールが語れる。」
どこかで聞いたことがある言葉。少し思い直すべきかもと躊躇しながらも、観戦仲間とは違う視点で日本戦を見なければならない自分がいる。

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