さて、サッカーファンの皆さん。不思議に思わないだろうか?
これから3つのことをサッカー日本代表に重ね合わせて考えていきたいと思う。
1 …フィギュアスケートでは「結果が出ていない選手をなぜオリンピックに選出するんだ!!」との声が各地で上がり、広まっている。加えて、浅田真央の件では連盟の通常業務が麻痺してしまうほどの抗議活動が起きている。サッカーより浸透度の薄いと考えられるフィギュアスケートであるにもかかわらず。
2 …フィギュアスケート界でのオリンピックという存在は、サッカー界のワールドカップに置き換えることが出来る。その世界での「最高の祭典」というところで一致するからだ。
3 …今回のトリノオリンピック代表選考では「ポイント制」が採用された。(なお、「採用された」という事実が大切であって、ここでは不備の話には触れない。)ポイント制とは、サッカー(のワールドカップ予選)でいえば残してきた実績(シード権)と試合で与えられる勝点に置き換えることが出来るだろう。
さて、ここからが本題だ。何が不思議なのか。
安藤美姫は「過去の実績(世界ジュニア優勝、世界選手権4位、全日本選手権2連覇など)があり、今シーズンもそこそこの成績(GPシリーズ、ロシア杯2位、NHK杯2位、GPF4位など)を残しているにもかかわらず、試合での内容が悪い」と批判を浴びている。トリノオリンピックの出場権がない浅田真央を除けば、代表ポイント争いでトップに立っているにもかかわらず。(参照↓)
(http://www.sponichi.co.jp/olympic/special/road_to_torino/figure.html )
そして皆口々にこう言う。「メダル獲得の可能性は中野の方が高いため、彼女を選ぶべきだった」と…。
私はジーコを安藤に重ね合わせることが出来ると考える。むしろ、安藤よりもジーコの方が置かれている状況は悪いものだとも思っている。
彼は何一つ実績を残していない 。それどころか、日本代表の監督になるまでは監督の経験すらない。確かにアジアカップでは優勝した。アジア予選は突破した。だが、もはやアジアを勝ち抜くことは必須条件であり、さしたる実績ではない。 日本はワールドカップでベスト8を狙っているチームなのだから、「仕込み」の段階での結果を評価すべきではない。
加えて、思い出してほしい。試合の内容はどうだっただろうか。ベスト8への希望を抱ける内容だっただろうか。ベスト8を現実のものとして捉えられる内容を残して初めて「仕込み」が評価されるのだ。彼を本当に評価できるだろうか。否であることは明らかだろう。
つまり、ジーコは「過去の実績はなく、任期に最低限の結果は残しているものの、その試合内容は明らかに悪い」のだ。ワールドカップ予選で勝点を他より多く稼いだだけ。安藤と似通っているといっても過言ではないだろう。ジーコの場合、中野のような対立候補こそいないものの、代わりの人員は世界中から選ぶことが出来るのだ。
しかし、どうだろう。 「ジーコ解任」のチャンスはいくつもあった。国民が協会に要求するチャンスも数え切れないほどあった。それこそ、時間は3年もあったのだ。見切りをつけられないわけがない。
にもかかわらず、国民は声を大にして叫ばなかった。協会がパンクすることもなかった。日本で1,2を争うメジャーなスポーツなのだから、そんなこと容易いはずだったのに…。
なぜ、このような「違い」が生まれるのだろうか。
細かい違いはいくつも存在する。だが、最も大きな要因であると考えられることはただ1つ。
それは「勝者のメンタリティー」が備わっているか否かだ。
フィギュアスケートの場合、古くは伊藤みどりがアルベールビルオリンピックで表彰台に上り、近年では荒川静香が2003年世界選手権で世界の頂点に立った。世界ジュニア選手権でも4年連続で日本人が表彰台の中央を飾り、今シーズンも浅田真央がGPファイナルで女王ソルツカヤを抑えて優勝を果たしている。
つまり、フィギュアスケートには「勝者のメンタリティー」が備わっていることが必然なのだ。
一方のサッカーは、敗戦の歴史に終止符が打たれたのはフランスワールドカップ出場を果たした98年のこと。あるいは96年のアトランタオリンピックだろうか。どちらにしても敗戦の歴史に終止符が打たれただけであって、世界との差はまだまだ存在する。ワールドカップでの最高成績も、自国開催だった02年のベスト16である。
つまり、お世辞にも「勝者のメンタリティー」が備わっているはずもなく、これから勝者を目指す競技なのだ 。
だが、ここで問題が一つ発生する。「勝者のメンタリティー」とは同時に「敗者になることを恐れる恐怖心」で成り立っているとも言い換えられるのだ。よく柔道で使われる「メダルを死守」や「王者の座を守ることが出来るのか」などの謳い文句がこれを示している。
安藤とジーコへの反応の違いを比べた国民の傾向から判断すると、日本人が「ワールドカップでベスト8や4に残る」ことより、「トリノでのメダルを」望んでいることは明らかだ。
つまり日本人は「勝者を目指す」傾向よりも「勝者が敗者になることを恐れる 」傾向の方が強いということが浮かび上がるだろう 。
だからこそ、危惧している。サッカーを愛するものとして。常々言ってきた「ワールドカップ全敗」が現実に起こったとしても国民は何も感じないのではないか、と。ベスト16に残ったとしても、トップではないその地位を守り抜こうとせず、さらに上を目指そうともしないのではないか、と。 日本サッカーの中に「勝者のメンタリティー」が根付くことは、もしかしたら起こりえないことなのではないか、と。
世界で最も競争率の高い競技であるサッカーでフロックを演じることは簡単なことではない。演じられたとしても、継続しなければメンタリティーは備わらない。果たして本当に国民の誰もが、「勝者のメンタリティー」を持つことが可能なのだろうか。
正直なところ、現段階では自信を持って「YES」と答えることは出来ない…。