Rマドリードは立ち上がることができるのか
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Rマドリードは立ち上がることができるのか
コラムニスト : Oracionさん

ベニテス、ヴェンゲル、カペッロetc…。世界中のさまざまな名監督の名がマドリーの「次期監督候補」として挙がっている。近頃不振が続いている白い巨人を立て直すためとはいえ、これだけ多くの名前が挙がるのもマドリーのブランド力故なのだろう。

だが、どんな名監督が就任しようと、今のR・マドリードを立て直せるとは思えない 。

問題は現場のトップに立つ人間にあるのではなく、クラブのトップに立つ人間に問題があるからだ。
多くの理由が存在する。ここでは主な2つの要素を挙げてみることにしよう。

一つ目は「商業至上主義のクラブ体制」。そして、もう一つがこの思想に圧迫される形になってしまっている「現場の声が反映されないチーム作り」である。
例えば、選手獲得が最も分かりやすい例だろう 。フロントは選手が試合で活躍できるか、自分たちのクラブに勝利をもたらすかどうかで獲得を決めているのではないことが克明に分かる。

イングランドのクラブでは、監督の意見・意向を最大限に考慮されている。または監督をトップに、アシスタントコーチなども含めたチームスタッフ(つまりは現場)に選手獲得のほぼ全権を与えているクラブも少なくない。これならば監督の作りたいチーム作りができ、それに似合った選手を獲得できる。費用の問題はクラブが担うにしろ、権利を与えられるということは、信頼されている何よりの証拠であり、監督としてもさまざまな方面で動きやすくなる。仕事がしやすくなるだろう。

逆に言えば、クラブとしても信頼して権利を与えることのできる監督を選ばなければならないため、監督人事を適当に行いことはできない。多くを考慮し、選考するため、それだけ信頼を寄せることができる。このような好循環が起こっているといっても過言ではない。


一方、イタリアやスペインではフロントや会長が勝手に選手を連れてきてしまう クラブが多いため、監督の思ったようなチーム作りができない。獲得選手は実力よりも話題性やスター性が重視されてしまうことが少なからずある。ゆえにチームの強化にもならず、結果を出すこともできない。完全な悪循環である。もちろん、マドリーもこれにあたる。

例えば、現ユナイテッドのアシスタントコーチであるカルロス・ケイロスは2年前、マドリーの監督として批判を浴びた。タイトルをもたらすことができなかったからだ。しかし、後に彼はこう語っている。

「私が監督をしていた頃と現在とでチームの欠点は全く変わっていない」

ケイロスも守備的な選手がほしかったと語っている。つまり、その後マドリーの監督になった方たちも全て同じ気持ちなのだろう。にもかかわらず、いまだに問題は改善されていない。

監督が無能なのか、クラブが悪いのか…。10年も20年も同じクラブの指揮を執っている監督が多くいるイングランドを見ている者からすると、前者だとは思えない。マドリー監督就任前、ケイロスはユナイテッドのアシスタントコーチだった。つまり、十数年も赤い悪魔を率いているサー・アレックスをじかに見てきたのだ。そんなケイロスは無能だったのか。

私はクラブ体制の違いに愕然としたケイロスの顔を思い浮かべずにはいられない。


いつだったか、正しく記憶しているわけではないが、ペレス会長がチェルシーやアブラモビッチを批判したことがあった。だが、なんと説得力のない批判なのだろう。「私は自らの過ちに気づいていません」と公言しているようなものだ。モウリーニョはこう言い返すだけで良い。「金だけで強くはなれない」と…。

アジアのマーケットを開拓することが悪いことだとは思わない。だが、そのために最も重要である地元スペインでの活躍に支障が出たなら、それは許されるべきことではない。ジダンもこれには苦言を呈している。


果たして、新監督を迎えたマドリーは立ち上がれるのか。いや、立ち上がってもらっては困る。こんなお粗末なクラブ体制が許されることはフットボール界にとって利益ではない。
体制が改善されない限り、このまま地を張っていてもらおう。

最後に、名前は伏せるが実際にあったこんな出来事を記しておこう。

監督…「守備的な選手を獲得してください。チームに必要なのです。」

会長…「その選手のシャツは売れるのか?」

確かにクラブ経営は大切だ。だが、フットボールという文化が利益に踏みにじられることなど、あっていいとは思わない。

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