思想の違いから考える.
欧州サッカーのDIVINA
思想の違いから考える.
コラムニスト : ラウルさん

 チェルシーとバルセロナ。いづれも現在の世界最高のクラブチームのひとつである。しかしこの2チームの思想、主義は全く異なる。そして、昨年同様CL決勝トーナメント初戦で対決する。
 
 私はこのカードを非常に楽しみにしている。レアル・マドリードとバルセロナの伝統の一戦、通称「クラシコ」という「美しく攻撃的に勝つ」考えを持つこの2チームの対決も非常に毎年楽しみにしている。試合開始から90分間見るもの全てに感動と興奮を与えてくれる。(もちろんマドリードとカタルーニャの歴史、因縁が背景にあるからでもある)
 昨年の対戦では4-3でチェルシーの勝利だった。しかし、チェルシー・モウリーニョ監督のフリスク主審に対する問題発言やテリーの疑惑のゴールが決勝点になるなど、あまり気持ちの良い結果とはならなかった。

 クラシコのような両チームが攻め合う試合になることはないだろう。バルサが望んでもチェルシーはそれに決して応じることはない。それがチェルシーのサッカーだからだ。
 元バルサ監督であり、現役時代から「トータル・フットボール」を目指し近代サッカーの発展に多大な影響を与えたオランダの英雄ヨハン・クライフはチェルシーのサッカーを「美しくない」と常に批判している。
 恐らくクライフほど、サッカーに対し「美」を求める者はいない。「2-0よりも4-3で勝つ」というクライフの理想はあまりにも有名ではあるが、現在この理想を求めるチームはほとんど(恐らくは全く)いない。クライフがかつて率いたドリーム・チームは確かにこの理想を求め、CL制覇を成し遂げたが、今の実力が拮抗しているサッカーではこの理想はあまりにも無謀である。

 そのクライフが言うには「ビッグクラブと呼ばれるチームには素晴らしい選手が数多くいるのだから、美しく勝つことが義務だ」と言う。そして今バルサはそれを満たし得ることができると。
 この理想は非常に厳しい、現にバルサはCLで一度しか優勝していない。ファーストレグで勝利し、セカンドレグでは引き分けで良いという考えのないバルサ(ファンもそれを期待していない)は前のめりになり過ぎて逆転負けという試合が少なくない。

 これに対しモウリーニョはクライフが選手としても監督としても一流であることを認めながらも所詮は過去の人物だと言い、自分はプレミアもCLも制覇した、CL決勝で0-4で負けたりしていないという(クライフはCL決勝でミランに0-4で負けたことがある。)

 二人の論争はこのくらいにして(二人の論争は互いの人格批判などあまり美しくない言葉が続く)チームを比べてみる。
 
 バルサは常にボールを支配し、ファンタジーあふれる速攻遅功ができ、シュートチャンスも多い。守備面でも前線からのプレスなど見るものを飽きさせない。(ここにも全員攻撃全員守備のクライフ・トータルフットボールの影が見える。)
 一方チェルシーはカウンター・セットプレイ主体の規則的な攻撃、相手の隙を待つ辛抱強い守備、攻守のバランスは常に一定で安定している。
 チェルシーにも美しさはある。常に緊張感に溢れ、ゴールへの最速の道を目指すスピード感溢れる攻めはとてもスピーディーである。

 ゴールシーンのハイライトだけならチェルシーのサッカーも悪くないと思う。しかし私が見たいのはやはりバルサのように1試合通しての美しさであり、ファンタジーである。ただ、美しいだけでは駄目だ。勝たないといけない。クライフが言うのも「美しく勝つ」であり、「美しければ負けても良い」ではない。理想が現実に勝つことは容易ではない。それは良く知っているつもりだ、現実的という意味ではほぼ完璧に近いチェルシーに勝つことを目指すのだから尚更だ。それでも、今のバルサにはそれが出来ると期待したい。世界に夢を与えることは困難なことではあるが、偉大なことでもあると思う。第1戦が楽しみだ。

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